弓木英梨乃(KIRINJI)が弓木トイ名義でリリースしたアルバム「みんなおもちゃになりたいのさ」のレビューと、これまでの彼女の歩みになぞらえた貴醸酒をご紹介。
みんなおもちゃになりたいのさ
先日、KIRINJIの「killer tune kills me」を取り上げましたが、そこでキュートな歌声を聞かせてくれているのが弓木英梨乃。
そんな彼女が弓木トイ名義で4月にリリースしたミニアルバム「みんなおもちゃになりたいのさ」。これがすこぶる良いんですよ。
まずはダイジェストでさくっと聴いてみてください。
弓木英梨乃という人物
今やKIRINJIの正式メンバーとして、そしてBase Ball Bear、秦基博、土岐麻子、柴咲コウ、吉澤嘉代子ら、そうそうたる面々のサポートギタリストとしても活躍。
さらには、その控えめな雰囲気からは想像もつかないほどエグいギターの技巧を持つ「ギタ女」としても認知を高めつつあります。
シンガーソングライターとしてのデビュー
元々は2009年に19歳でシンガーソングライターとしてデビューしたんですが、2年間の活動で6枚のシングルを残し一旦表舞台から姿を消します。ここで彼女は大きな挫折を味わいました。
今の生き生きした姿を見るにつけ、残念ながらこの時期の活動はミスプロデュースであったと言わざるを得ません。事務所は恐らくYUIのような路線で売り出したかったのでしょうが、正直楽曲としての面白みにも欠けますし、何より彼女自身の持ち味が全く見えてこない。
作曲スキルに関しては、KIRINJI加入によって飛躍的に向上したと思われるので、この時点では精いっぱいの結果だったのかもしれません。ただ、シリアスなイメージ作りから導かれたであろうキツめのメイクや肩に力が入った歌唱なんかは明らかにちぐはぐで、本人にフィットしてるとは言い難い。
明らかに中高生がターゲットだったようなので、その意味では時代性からも無難な売り出し方だったのかもしれませんけどね。
この時代の最後のシングルが2011年11月で、そのシングルをプロデュースしたのが誰あろう堀込高樹。そして彼が率いる新生KIRINJIのメンバーとして迎えられたのが2013年夏。この約1年半の間に何があったかは分かりませんが、ここから彼女は息を吹き返します。
弓木トイとしての新たなフェーズ
KIRINJIやセッションギタリストの活動を経て、たどり着いた新たなフェーズ。シンガーソングライターからトータルなアレンジャー/プロデューサーへ。弓木トイという名義には、単純に過去からの決別というよりは、あのときの経験があって今があるという思いも含まれている気がします。
いや、これは完全におっさんの妄想なんですが、本当にシンガーソングライター時代を忘れたい黒歴史だと思っているなら、多分苗字さえもプロジェクト名には残さないと思うんです。それこそ、どこぞのバンド名みたいにするとか。まあ、特に深く考えず本名だから使っただけ、というのが案外正解かもしれませんが。
ちなみに「トイ」という名前にはこれといった捻りがあるわけでもなく「おもちゃ箱をひっくり返したような音楽を作りたい」という思いからとのこと。ストレートすぎる!
それでも、月並みともいえるこのフレーズを何のてらいもなく使っちゃうあたりで、いい意味での気負いのなさや素直で朴訥とした人柄が透けて見えるんですよね。
いずれにしても、KIRINJIで培ったであろう少しひねたポップセンスがここでようやく開花したのは間違いないわけで。本人もインタビューで答えているように、いろいろな人からの影響を上手に咀嚼した上で、力を抜いて楽しみながら音楽を表現している様子が伝わってきます。
貴醸酒を飲みながら聴きたい
そんなことを考えながら聴いていると、このアルバムはまさに貴醸酒だなと思うのです。貴醸酒?なにそれ?という人もいるかもしれませんので、簡単に説明を。
貴醸酒とは
とろりとしてかなり甘みが強く、デザート的な飲み方をされることが多いお酒なんですが、味わいもさることながら最大の特徴はその製造法にあります。
超簡単に言ってしまうと、仕込み水の一部に日本酒を使用するんです。いわば酒で酒を醸すので生産量も少なく高価になりがち。貴腐ワインと同じようなポジショニングの付加価値を持った日本酒を造ろうという狙いで70年代半ばから始まった製法だそうです。
で、なんで弓木ちゃんの音楽が貴醸酒かって?
一度は日本酒として作られたにもかかわらず、それはあくまで途中経過。その日本酒があらためて新たな日本酒として生まれ変わる。そして出来上がったものは甘くてポップでジューシーな極上の作品。
そんな紆余曲折がちょうど彼女の歩みと重なっちゃったんですね。
一ノ蔵 貴醸酒 Again
比較的大手の蔵でスーパーなどにも置いてあるので、一ノ蔵という銘柄は良く知られたところでしょう。しかし、意外なことに創業は1973年と若く、宮城県でのベンチャー企業の先駆けと言われています。
そんな一ノ蔵がリリースする貴醸酒「Again」。なんといってもこの名前。まさに今回のアルバムのためにつけたんじゃないかと思っちゃうほどピッタリ。1曲目も「ハッピーバースデーをもう一度」だしね。
通常、貴醸酒というのはある程度熟成させてから出荷することが多いんですが、こちらはほとんど熟成させず、甘いながらも軽くてすっきりした味わいを実現しています。
このへんもまた弓木ちゃんぽいなあ。だって、いくら紆余曲折あったとはいえ、まだまだ熟成なんていう年齢でもないし、サウンドだってそんなに重たくないですから。
簡易アルバムレビュー
そんなわけで、こちらのお酒を飲みつつ、とりあえず簡単に各曲をレビューしてみましょうか。
1. ハッピーバースデーをもう一度
弾けるポップさが魅力のリードトラック。軽快なディスコパターンのベースが気持ちいい。吉澤嘉代子が参加。
2. キャベツのようなもの
KIRINJI用に作ったというだけあって、いかにもKIRINJIっぽいひねたポップセンスが爆発。こちらも後ノリでダンサブル。
3. 2人だけのデート
そうとは感じさせないナチュラルな変拍子が面白い効果を生んでいる。サビのメロディラインがやけに吉澤嘉代子っぽい。個人的にはアルバム中で一番好きかも。
4. CCSC
これまた変拍子(5拍子)の変態ファンク。のんのアホっぽい語りも聞きもの。
5. カァカァカァ
ケレン味の強い前の曲から一転、ジャジーでほっと和む、アルバムの中で一服の清涼剤のような役割。地味なのでパッと聞きだと印象に残らないが、回数を重ねていくとどんどん味が出てくる。
6. シュローダーのセレナーデ
優しくスムーズなギターインストながら、さりげなくフュージョンギタリストばりのテクニックを披露している。案外シンガーソングライター時代の流れをもっとも汲んでいる曲かもしれない。
まとめ
若いアーティストが陥りがちな失敗、すなわち変に難しいことをやろうとするも、センスが追い付かず結局稚拙な仕上がりに…なんてことも全くなく、 ポップスとして高い完成度を誇る快作となっています。
多分、難しいことありきというより、やりたいことを表現したら自然とプログレッシブになったんでしょう。だから嫌味無くすっと入ってくる。
このセンスで今後どのような作品を生み出してくれるのか、本当に楽しみです。
体調不良でツアー中止なんてニュースも入ってきて少し心配ですが、早く復調して更なる活躍を続けていただきたい!応援してます。