お店やってると、常連さんの中でいつも同じ銘柄しか飲まない人っていませんか?私の叔父がまさにそのタイプなんです。
〆張鶴 雪が好きな叔父
私には齢80を超える叔父がいるのですが、大の日本酒好きなんです。ただし、飲む銘柄は決まって「〆張鶴 雪」。これしか飲まない。
なぜこれしか飲まないのか、本人に尋ねたことがあります。そのときの返事は「これが一番好きだから」。「ほかにも美味い酒はいっぱいあるよ?」と言っても「いいんだよ、これがうまいんだから」とのこと。そしてそれ以上の答えは引き出せませんでした。
もちろん、これはこれでいいお酒だと思いますが、世の中には数万種類もの日本酒が存在しているのです。その中に〆張鶴よりも美味しい酒があるかもしれない、それは確率論からしたら間違いない事実のはずですが、彼にとってはそういう問題ではないんですね。
叔父と私の価値観
難しいものはいらない、とにかくわかりやすくて楽なのがいい。年齢のせいもあって、恐らくはそういう考えなんでしょう。だから飲み慣れた酒で満足なんだと思います。
新しいものを開拓するのはそれなりのパワーが必要ですから、心底興味のあるジャンルじゃなければ疲れるのは嫌だってのは分かります。
自分の場合は何事にも好奇心が強く、新しいものを探求したり、それらを使った主体的でクリエイティブな行為に喜びを見出すタイプなので、こういった探求心があまりない人の考え方は理解しづらいところがありました。
ただ、価値観は人それぞれ。何に価値を見出して、何を好きになるかという点について他人が押し付けることは決してできません。そういや、NHKでやってた「特撮ガガガ」ってドラマも同じテーマだったな。
AがいいとかBがいいとか、そういう単純な話ではなく、もっと深い部分での考え方や、選択基準についての押し付けは無意味であるということです。
教えたがりの日本酒ファン
日本酒好きやワイン好きは、比較的知識が豊富で教えたがりの人が少なくありません。たまに飲み屋で若い客に講釈を垂れているジジイを見かけますよね。求められて教えているならともかく、訊かれてもいないのに余計なことをペラペラと話しているのを見ると、なんだか暗澹たる気持ちになります。
その若い客は詳しい銘柄や出自なんてどうでもよく、仲間と楽しく美味しく飲めればそれだけで満足かもしれない。もしそうだとしたら、頼まれてもいない講釈なんて疎ましいことこの上ない。ああいうオヤジってなんなんですかね。ほんと信じられない。気持ち悪い!
価値観を認めると楽になる
とにかく、そんなこんなで私は叔父に新たな酒を薦めるのを一切やめました。別に叔父はそれ自体疎ましく感じてはいなかったと思いますが、最初から素直に「〆張鶴うまいね!」と一緒に楽しむスタンスをとるようにしたら、むしろこちらが楽になりましたよ。
飲食店で日々接客をしている方々にしてみたら釈迦に説法だと思います。別に私に言われなくても、普通にそうしてるでしょうし。
まあただ、同じのしか飲まない人っているよね?で、そういう人はこんな感じで考えてるんだろうなあと想像ができると、私のような教えたがりのおっさんは、煙たがられてもなお周りに講釈を垂れたくなる衝動を抑えるのが若干容易になる、というお話でした。
ではまた!