一般的に日本酒は冷蔵保存が鉄則と言われますが、果たしてそれは事実なのでしょうか。冷蔵保存が推奨される理由と、常温保存の効果・リスクについて徹底解説します。
ちなみに↑のアイキャッチ画像は行きつけの店で常温保存されている日本酒たち。生酒もあります。
火落ちとは何か
冷蔵が必須と言われる最も大きな理由は火落ちの防止です。
火落ちとは、ものすごくざっくり言うと火落ち菌と呼ばれる乳酸菌の一種が日本酒に入り込むことで白濁&過剰に酸化し、さらに足の裏とかゲ○を思わせる不快な臭いを発するようになることです。
よく、日本酒は放置すると酢になるなんて言われますが、それはこの火落ちによって酒が極端に酸っぱくなったことから来た俗説ともいわれます。(酢は酢酸菌を利用して醸造されますが、通常日本酒に酢酸菌が勝手に入り込むことはないので、自然に酢になることもありません)。
この状態になったものを飲んでも健康に影響はないようですが、激しく不味いのでもはや捨てるしかないですよね。
火落ち菌が最も活性化するのは28~30℃。死滅するのは60~65℃とされています。つまり、火落ちさせないためには低温下において失活させるか、熱を加える(火入れする)のが有効なのです。
なるほど、こりゃ確かに火入れしていない酒は冷蔵保存が必要って言われるわけだ。
生老ね・生ムレ
生酒の場合、火落ちの他にも常温保存することでの悪影響が。それが生老ねとか生ムレとかいわれる現象。
これはアセトアルデヒドやイソバレルアルデヒドという物質が増加し、ハーブというか草いきれのような不快な臭いを発するようになる状態を指します。
イソバレルアルデヒドはイソアミルアルコールという物質が酵素によって酸化することで発生します。低温ではその反応が抑えられますが、常温下だとより反応が起こりやすいのです。そこで必要になるのが再び登場の「火入れ」ってわけ。
火入れすることで酵素を壊してイソバレルアルデヒドを発生しづらくするんですね。かくして、良くも悪くも生酒特有のあの風味は火入れによって失われるのです。
※火入れしてもロイシンのストレッカー分解によってイソバレルアルデヒドはある程度発生します。なんのこっちゃ意味が分からないですよね。安心してください。私もわかりませんので。
Point
生酒は常温だと火落ち&生老ねしやすい。生酒でも常温保存で問題ない場合
これらの理由により、多くの生酒は冷蔵保存が推奨されます。ここまでは教科書通りのお話でしたが、問題はこの先。
実は生酒を常温放置しても老ねるどころか、まろやかさと旨味が増して極上の熟成酒に変貌する場合もあるんですよ。いわゆる生熟成ってやつです。決して確率は高くないですが。
これはどういうわけなのか。火落ち菌も酵素も温度が高いと元気になって、嫌な物質作っちゃうんじゃないの?
うまく生熟成させるためには、火落ちさせないことと生老ね香を極力出さないことが条件になってきます。
まずは火落ちのことからお話ししましょう。
生なのに常温でも火落ちしづらい条件1:徹底した衛生環境
昔に比べ飛躍的に向上した衛生環境が火落ち菌を限りなく減らすことに繋がっています。火落ち菌は瓶やタンク、その他用具などに付着するのでそれらを徹底的に除菌している蔵であれば、ある程度までは混入を防ぐことができます。
とはいえ、空気中にも普通に存在する菌なので、完全に0にすることは難しくなります。
生なのに常温でも火落ちしづらい条件2: 打瀬の期間が長い
もうひとつは造りの違い。かなり専門的になりますが酒母の仕込みの中で打瀬(うたせ)という工程があります。
難しいので詳細は割愛しますが、この期間をしっかりとることで酒母の品温を5℃くらいまで下げて火落ち菌を含む諸々の雑菌の増殖を抑えることができます。
生酛・山廃系の酛では打瀬の期間中に亜硝酸が生成され、それによって雑菌が淘汰されます。一方、速醸酛では乳酸添加によって雑菌の活動を抑え込みますが、淘汰まではできません。
要するに、 速醸よりは生酛・山廃系のほうがより火落ち菌に侵されるリスクがより少ないということ。
なお、速醸でも打瀬期間を長くとる造りをしていれば雑菌に侵されるリスクはさらに減らすことができます。
Point
速醸よりも生酛・山廃のほうが火落ちしづらい。速醸でも打瀬期間が長い造りであればリスクは少ない。生なのに常温でも火落ちしづらい条件3: アルコール度数
火落ち菌はアルコール度数が高いほど活動が鈍くなります。
香り系酵母は高濃度のアルコールに弱いため、度数を低く抑えられながら造られるのが通常です。このため、必然的に火落ち菌も活動しやすくなるわけです。
つまり、香り系のお酒はその造りの性質上、火落ちのリスクも相対的に高いと言えます。
裏を返せば、香り系じゃない酵母(6号、7号、9号など)を使用しているなら、火落ちの可能性は香り系よりはマシになるということですね。
なお、無濾過の生酒で原酒が多いのは、アルコール度数を上げることで、火落ちを防ごうとしてる側面もあります。
また、悪者にされがちなアルコール添加も、もともとは火落ちを防止するために江戸時代に生まれた技術なのです。
Point
原酒などアルコール度数が高い酒やアルコール添加の酒は相対的に火落ちしづらい。一方で香り系の酒は火落ちのリスクが上がる。生老ね香を出させない条件
次に、生老ね香についてですが、正直なところ、常温でも生老ね・生ムレしない生酒の条件ははっきりわかっていません。というか、そこに関しては火入れか低温保存が常識になっているため、わざわざリスキーな常温保管の可能性を科学的に探る人があまりいないんですね。
素人考えでは、単純に酵素を火入れ以外の方法で失活させるか、そもそも生老ね香の前駆物質が少ない造りにするしかないだろうと思われます。
ここからは専門的な話です。
先述したように生老ね香はイソバレルアルデヒドが原因です。これはイソアミルアルコールが酸化することで生成されます。そして、イソアミルアルコールは酢酸イソアミルの前駆物質でもあるわけです。メロンやスイカのような香りの元ですね。
従って、酢酸イソアミル系の酒はイソアミルアルコールを多く産生する酵母を使用しているため、これが生老ねに繋がる可能性が高いわけです。
話を単純化してしまえばフルーティな香り系の日本酒は生熟成に向かないってことでまとめてしまってもいいと思います。
常温生熟成に適した銘柄
火落ちしづらい条件にしろ、生老ね香が出にくい条件にしろ、それらをラベルの情報だけで判断することはやはり難しくなります。ですので、結局は経験をもとに銘柄もしくは蔵単位で判断していくのが妥当なんですよね。
では、具体的にどの酒が大丈夫なのか。
こればっかりはやってみないと分からないというのが正直なところですが、経験上では、山陰の日置桜、十旭日、天穏、関西では秋鹿、玉川、奥播磨、その他の地区ならるみ子の酒(妙の華)、三重錦、悦凱陣などなど、他にも以下の記事で紹介している銘柄は比較的高い確率で生でも常温保存に耐えられると思います。
もちろん、これ以外でも常温生熟成が可能な銘柄はありますので、どんどんチャレンジしてみてください!(もちろん自己責任でね)
火入れ酒の常温保存
生酒の常温保存のリスクと可能性はわかった。では火入れした酒はどうなの?
結論から言いますと、ほとんどは常温保存でも問題ありません。過去に50本くらいは火入れ酒を常温熟成させてきましたが、劣化して飲めなくなったものは1本もありませんでした。本当に1本も。
生詰め、生貯蔵などの一回火入れは二回火入れに比べて火落ちしやすいとされますが、それも特に影響を感じたことはありません。
結局のところ、現代の衛生環境ではまともに火入れしていれば、火落ちはほとんど起こらないということです。(100%起こらないとまでは言いませんが)。
開栓後の保存について
開栓後の温度
これは結構難しい問題なんですよね。火入れの有無にかかわらず開栓すると、その段階で空気中の火落ち菌が多かれ少なかれ必ず混入します。
ですから、火落ちのことだけを考えるなら、彼らが元気をなくす5℃~-5℃での保存が望ましいのですが、モノによっては常温で半年くらい放置しても全然平気な場合もあります。
このへんの詳しい理屈は分かりませんが、先ほど紹介した生熟成に耐えられる燗上がり系銘柄は常温開栓放置にも耐えられるものが多くなります。まあ、万全を期すなら冷蔵しておけば無難にリスクは減らせますけど。
開栓後の酸化
そして、開栓後は酸化も進みます。これを劣化と断じている説明もありますが、私は必ずしもそう思いません。酸化によって味のバランスが整って開栓直後よりも美味しくなる酒もたくさん飲んできました。
とりあえず、火入れした酒であれば開栓後常温放置でも1~2週間程度なら全く問題なし。むしろ、開けたては固くてまとまりがない酒だったら、開栓して1日以上おいたほうが格段に美味くなります。
生酒の場合はもうちょっと期間を短めに考えたほうがいいですかね。生老ねの問題もあるし。でもまあ、1日2日くらいなら常温でも大丈夫ですよ(それなりの変化はしますので、お店がお客様に提供する場合などは、必ず事前にチェックしてくださいね)。
で、モノによってはこのあたりの期間を過ぎると火落ち菌がどんどん繁殖して徐々に酸っぱくなってくることもありますが、逆に言うとここを過ぎても大丈夫な酒であれば、半年でも1年でも平気なことが多いです。
温度が高いと熟成も早く進みますので、熟成と酸化による手っ取り早い変化を楽しみたいなら常温、開けたてのフレッシュな風味をなるべく長く求めるなら冷蔵保存をおすすめします。
蔵元が意図する味
常温下でも火落ちや劣化が起こらない場合があるといっても、良かれ悪しかれ酒質の変化は起こります。低温ではその変化が極力抑制されますが、温度が上がるほどより早く進みます。
で、ここで気にすべきは蔵元の意図。製造者である蔵元が飲んでほしいと思っている理想の味は必ずあるわけで、そこを大事にしていきたいのであれば、やはり変化の少ない冷蔵で保管することが望ましくなります。
クラシックスタイルの熟成させてなんぼの銘柄は別として、少なくとも最近流行のフルーティなタイプや生酒をはじめとするフレッシュなものに関しては出荷時が目指すところに最も近い味のはずなので、極力低温で保管するほうがいいでしょう。
まとめ
少しとっ散らかった感があるので、最後に整理しますね。
- フレッシュ系・フルーティ系・香り系は冷蔵保存を推奨
- 生酒は冷蔵保存が無難、ただし、常温生熟成が成功するとめっちゃ美味いので銘柄を選んで挑戦する価値あり。
- 火入れ酒は常温保存で問題なし。
- フレッシュ系・フルーティ系で蔵元の意図を感じ取りたいなら冷蔵保存 。
- 開栓後は冷蔵保存が無難だが、火入れや造りがしっかりした生酒など、モノによっては常温放置も全然アリ。ただし、変化を楽しめない人はやめたほうがいい。
日本酒はどんどん変化するのが魅力の一つ。個人的には、そこを恐れていては、本当の面白さに気づけないと思います。
もちろん、ダメになってしまう場合もあるのでどこまでリスクを負うべきか、よくよくバランスを取りながら保存する温度について考えてみてください。
ちなみに、酒店や居酒屋を訪れた際、生でも火入れでも闇雲に冷蔵するのではなく熟成のことまで考えて適切に温度管理できているのを見ると「わかってるねえ」と嬉しくなります。私はそんな店と末永く付き合っていきたいです。
それではまた!