日本酒を扱う店に行くと「どんな酒がお好みですか?」「うーん、辛口かな」なんて会話をよく耳にします。これが数十年来日本酒業界を悩ませている「辛口問題」です。辛口酒の歴史に絡めて、提供側としてはどうしていくべきなのかを考えていきます。
辛口を頼むお客への対応
日本酒を提供するお店に行くと「とりあえずビール」くらいの感覚で「とりあえず辛口」と頼むお客のなんと多いことか。
そんなとき、店のスタッフとしてはどのように対応するのが最良なのでしょうか。お店によって対応は異なりますが、本来必要なのは「お客の真意を読み取ること」であるはずです。さらに可能であれば、真意を理解したうえで、その期待を上回ることができれば、きっとリピーターになるでしょうね。
逆に一番嫌な気分になるのは、そのお客さんを素人扱いして見下し、適当にあしらうお店。
確かに「辛口くれ!」というお客は大半が日本酒に対して詳しい方ではないかもしれません。だからと言って「わかってないなあ…」という態度をとっていては、いつまでたっても一般レベルでの日本酒への理解は進みませんし、そもそもそのお店が逆に見下されます。言葉に出さなくても、そういう気持ちはお客に伝わるものですから。
辛口とは何か
まずは辛口の定義をはっきりさせておかないと、ここから先の話ができません。
辛いといっても唐辛子やワサビのような刺激としての辛みや、塩をなめた時のような塩辛さはないですよね。実際のところ、日本酒には多かれ少なかれ全て甘みがあります。焼酎やビールと比べてみれば明白です。
なのになぜ辛いと言うのか。これ、一言で言ってしまうなら「甘くない」という意味でしかないんですよね。はい、ここ大事です。試験に出ますよ。
そしてもう一つ。ある時期から「甘い酒=悪い酒」という価値観が出来上がり、それに対する形で辛口は上質であると認識されるようになったのです。
Point
辛口には「甘くない」という意味と「上質で美味しい酒」という二つの意味がある。辛口至上主義が生まれた経緯
では、なぜ多くの人は異口同音に「辛口」を良い酒の代名詞のように言うのか。そうなった経緯を紐解いていきます。
元々日本酒は甘口だった
日本酒が誕生したとされる奈良時代~戦国時代の日本酒はどぶろくのような濁り酒で、今と比べても非常に甘いものであったようです。今でいう甘酒がイメージに近いのかな。
当時の醸造技術は未熟で、アルコール発酵が不十分なため糖分が残る甘口の酒しか造ることができなかったのです。
そのうちに、この濁り酒を濾した清酒が登場するのですが、味わいそのものは相変わらず甘口だったようです。
辛口の誕生
江戸時代に入ると、日本酒の生産地から江戸へ酒を輸送する必要が出てきました。しかし、これまでの酒では移動中に腐ってしまうという問題が発生。これを解消するために生まれた技術が「火入れ」と「高アルコール化」でした。
火入れはちょっと脇に置いておいて、高アルコール化に関しては精米技術の進歩によって可能になったと言われています。また、焼酎を添加する、今でいうアルコール添加の技術もこの時代に生まれています。
これらの方法でアルコールの割合が高まれば相対的に糖度は下がります。こうして江戸へ運ばれる酒は徐々に辛口化していったと考えられています。
面白いのは、この辛口が好まれる文化が育まれたのは江戸に限った話であったということ。
有名な話なのでご存知の方も多いと思いますが「下らない」という言葉の語源は、江戸に下っていかない酒、すなわち生産地で消費される質の悪い酒のことを指していました(全体の5%程度しかなかったようですが)。裏を返せば、上質な酒は江戸に送られ、それは輸送の関係で辛口にならざるを得なかったわけです。
ということで、実はこの頃から辛口=上質であるという認識は出来上がっていったんですね。
三増酒の登場と甘口の復権
時代は一気に第二次世界大戦まで進みます。戦争がはじまると米は統制品とされ、まともに日本酒は造れなくなります。この結果生まれたのが、かの悪名高き「三倍増醸酒(三増酒)」です。
三増酒とは、一言でいうなら水増し合成清酒です。アルコールで水増しした日本酒に、味を調整するためアミノ酸や糖分を混ぜて作った日本酒もどきです。
その味わいは、酒自体は薄いのにベタベタ舌に残る甘いものであったそうです。日本酒風味の甲類焼酎に砂糖水と化学調味料を足したような感じでしょうか。
ただ、当時は食糧難ということもあり、多くは栄養失調であったがゆえ、人々は生理的に甘いものを求めました。このため今では悪の権化のように言われる三増酒ですが、もともと消費者のニーズがあって生まれたということは忘れてはいけません。
1950年代になってようやく戦前のように純米酒を造れる時代が戻ってきます。しかし、三増酒の甘さと薄さに慣れていた人々にとって本格派の純米酒は濃すぎる、クドい、甘くないと不評の声も聞かれたとか。消費者の嗜好はこの時点ではまだまだ甘口に寄っていたんですね。
菊正宗のCM~辛口の巻き返し
高度成長期に入って、栄養状態の改善、食の欧米化、ビール、ウイスキーの普及などもあって甘口酒を好む土壌は徐々に崩れていきます。
そんな中、70年代に入ると「地酒ブーム」がやってきます。これまでの大手酒造による画一的な酒から、地方の小さな蔵が醸す、個性的な地酒に注目が集まり始めました。
当時の価値観としても量より質の本物志向が進み、三増酒の立場はますます追いやられていきます。
そしてターニングポイントとなったのが、昭和50年から始まった菊正宗のCMでした。そのキャッチコピーが「最近の酒は甘いとお嘆きの貴兄に辛口のキクマサを贈ります」。これが当たってお茶の間に浸透。ここから、再び辛口=上質のイメージが形作られていきます。
なお、このCMがきっかけとなったかは不明ですが、ちょうど昭和50年から三増酒の消費量が下落をはじめています。
80年代の吟醸酒ブーム
80年代後半にバブル景気の中で生まれたのが「吟醸酒ブーム」です。華やかな時代背景もあいまって香り高い吟醸酒を冷やしてグラスで飲むことが流行します。
味の嗜好としては、三増酒の「淡麗甘口(ベタ甘薄口)」とも地酒ブームの「濃醇辛口」とも違う、すっきりと軽く飲みやすい、いわゆる「淡麗辛口」の酒が人気の中心となっていきます。
それまでの質の悪い三増酒や重たく古臭いイメージのあった日本酒しか知らなかった人からすれば、軽やかで華やか、すっきりスマートな淡麗辛口の吟醸酒は驚きをもって迎えられたことでしょう。
重厚さを嫌い、軽薄短小なものが好まれた80年代特有の空気感にもうまくフィットしたのだと思います。(端麗辛口をdisってるわけではありません)。
ちなみに、ビールのアサヒスーパードライの大ヒットもいわゆる辛口神話に影響を及ぼしたという見方もあります。
ともかく、こうして辛口こそが上等であるという価値観が徐々に育まれ、今ではその言葉だけが独り歩きするようになってしまったのです。
辛口を求める4タイプの人
次に「辛口」を求める方は何を思ってその言葉を口にするのか、考えていきます。
A.知識が乏しいだけ
割合としては、このパターンがもっとも多いでしょうね。日本酒の味を表現する言葉を知らないため、とりあえず美味しい酒をくれ!くらいの気持ちで言っていると思われます。
事実、そういう方にレベルの高い甘口の酒を飲ませて、すっかり気に入ってもらえたなんてこともよく聞く話。
対応
このタイプの方はまだ日本酒に対する経験が浅いこともあって、何が美味しくて何が不味いのか指標がはっきりしていません。
このため、まずはレベルの高い酒を知ってもらうことが大事です。ちゃんとした日本酒であれば、甘辛濃淡などについてはそこまでこだわらなくとも大丈夫です。とはいえ、何でもアリというのが一番難しくもあるんですよね。
とりあえずのおすすめは(1)フルーティだがキレがあるタイプ。ここから様子を見て、フルーティな香りに興味を示していただけたら、うまいこと甘口に誘導してみるのもアリ。
B.甘い酒に嫌な思い出がある
日本酒に対して誤った認識、すなわち日本酒は甘ったるくてクドくて不味いと思っているタイプ。
今や三増酒自体は絶滅しましたが、同じように糖類を添加した質の悪い普通酒、そう、激安チェーン居酒屋なんかで飲み放題メニューに入ってるようなベタベタと甘ったるい酒。あれはまだ生き残っています。このタイプの方の中で日本酒といえば、あの味のイメージが強くあって、それに対する反発として「辛口」と言っている可能性があります。
日本酒に詳しくはないものの、それなりの飲酒経験があり、どんな味わいが飲みたいかある程度イメージできている場合が多くなります。
対応
まずは持っているであろう理想のイメージに沿ったお酒を提案しましょう。少なくとも、甘口に対してはいい印象がないため、いきなり甘さの強めな酒を薦めるのはリスキーです。
日本酒への誤解が解ければ世界が広がるかもしれませんが、最初の段階では、すっきり系の爽酒で様子を伺って、徐々にボディの太い酒も試していただくのが良いでしょう。
というわけで、最初のおすすめは(2)の香りは控えめ、酸が効いて軽いタイプを。
C.純粋に甘いものが苦手
これはもう好みなので仕方ないですが、甘いものが嫌いな人は一定数います。そもそも日本酒は甘いものであるという認識がないのが問題と言えば問題ですが、ここでそれを正すのは不毛です。
対応
このタイプの場合、いくら出来が良くても甘口の酒は拒否される可能性大。実際は大して甘くなくともフルーティな香りがあると甘く感じてしまうこともあるので、Bと同じく、最初は(2)の香りは控えめ、酸が効いて軽いタイプがおすすめしやすいでしょう。
D.古い価値観を信じている
比較的年配の方に多いですが、上でも書いたように菊正宗のCMや吟醸酒ブームを通過した年代(だいたい50~60代以上)は、灘の男臭い純米酒か新潟を中心とした淡麗辛口の酒こそが至上だという価値観を持っている方も少なくありません。
対応
このタイプの方は最近の日本酒事情には詳しくないものの、プライドはそれなりに高い可能性があります。ですので、ここで変に辛口を否定してしまったり、正しい知識を教えようと躍起になって説明するのは逆効果です。特に部下を連れていたりすると、その方の前でいらぬ恥をかかせることにもなりかねません。
ここは、素直に承った上で比較的クラシックでその方もご存じであろう定番銘柄をお出しするのが無難です。味に関しては、最近流行りの華やかでフルーティな甘口でなければOK。
とはいえ、ありきたりな有名銘柄をお出しするのも提供者のプライドに関わると思いますので、そこはセンスの見せ所ですが。
というわけで、とりあえずは(3)クラシックな定番銘柄がお勧めしやすいでしょう。
辛口おすすめ銘柄をタイプ別にご紹介
(1)フルーティだがキレがあるタイプ
みむろ杉 純米大吟醸
立ち香はそこまで派手ではありませんが、含むとふわっとフルーティな香りが鼻に抜けます。丸くて柔らかい甘みで、酸はゆっくり動くが上品。非常に整った印象。
総乃寒菊 純米大吟醸 limited edition
ここ数年でグイグイ売り場を増やしている寒菊ですが、ちゃんと味が伴っているので素晴らしいですね。
立ち香はカプロン系で心地よい華やかさ。若干乳酸っぽさも。含むとまずは軽いガスが飛び込んできます。甘味は酸と一体化しており、上品で芯があります。ジューシーさを感じつつ、そのままボリューム小さめの旨みに移行してスッと消えます。後味で軽い苦みとともに、やや蜜のようなコクのあるニュアンスも。
羽根屋 純米大吟醸50 翼
羽根屋はどのスペックもはわかりやすくフルーティで、まだ日本酒に慣れていない方にはおすすめしやすい銘柄。
こちらの大吟醸、甘みはそこそこ、酸もまずまずあって案外しっかりした味わいなんですが、引けがキレイ。雑味もないしバランスよく非常に優等生な酒です。
菊鷹 Hummingbird 純米無濾過生酒
華やかでありつつも上品な立ち香。甘みもしっかりしていてフルーティー。全体的にはがっつりしたコシの強い酒なんですがどこか控えめで上品さもあります。このバランスはなかなか出せませんよ。
ど辛
秋田の蔵元集団NEXT5のメンバー、山本さんが醸す辛口純米酒。インパクトのあるラベルですが、言うほど辛くありません。むしろフルーティさすら感じるバランスで、思いのほか洗練されています。ただ、キレはすごいですね。この後残り感のなさで辛口らしさが如何なく表現されています。
蒼空 純米酒 美山錦
透明感と綺麗な酒質が特徴の銘柄。比較的入手しづらいかもしれません。
そこそこ立ち香もあります。甘味は軽く、やや熟成というか乳酸のニュアンスもあり、そこからの酸がジューシー。骨格もそれなりにあって、旨みがやたら上品。 最後は極軽い苦味で締めます。キレまでの手仕舞いが美しい。上質とはこういう酒のことを言うのです。
(2)香りは控えめ、酸が効いて軽いタイプ
澤の花 ひまり
軽快かつ淡い味わいなんですが、美しい酸が全体をしっかり締めています。このタイプの中ではトップランナーだと思います。
澤屋まつもと 守破離 山田錦
派手さは抑えて食中酒としての立ち位置は確保しつつ、現代っぽいスマートさも併せ持つ、いわゆるクラシックモダン酒の代表格。
もともと守破離シリーズはどれもシャープで淡麗ですが、山田錦使用のこの子は特に甘みを抑えられており、ドライ星人には自信をもっておすすめできます。
宝剣 純米酒 超辛口
広島生まれの八反錦という米を使用しているのですが、この米はミネラル感が出やすく、なおかつ旨みは控えめのシャープな味わいが特徴なんです。宝剣はその特徴を最大限に生かしているお酒。
ふわっと軽い甘みのあとにバシっと切れます。超辛口の表記はあくまで日本酒度が+10だからであって、味わいとしてはアンバランスさはなく、非常に巧い造り。
萩の鶴 手造り純米
ほんのりフルーティな立ち香。含むと甘さは弱くドライ、旨みに芯と深みがありつつもすっきりしています。酸が強めでサクッとキレるので食事には非常に合わせやすいです。安定感とバランスの良さはピカイチ。
冷やしすぎるとやや物足りないので、常温~ぬる燗をおすすめします。
山城屋 standard-class
都会的で透明感があり、控えめながらも芯の強さがあります。この造りに移行してまだ年数が浅いので、今後どれだけの進化を見せてくれるのか非常に楽しみ。
詳しい味わいは下記を参照してください。
日高見 弥助
淡麗ながら凝縮感があって全く物足りなさは感じません。芯の部分で酸が効いてるんですね。そして素晴らしいキレ。シャープでキュート。
弥助は鮨との相性を売りにしている銘柄です。寿司はもちろんのこと、刺身とも当然のように抜群の相性を見せてくれます。カルパッチョもいいかも。
富久長 海風土(シーフード)
女性杜氏の今田美穂さんのモダンな感性が発揮された逸品。
もともとは牡蠣に合う酒を、ということで設計されたそうですが、その名の通り魚介全般、イタリアンだとさらにペアリングさせやすいのでは。白麹を使用しているので酸が強く、まるで食材にレモンを垂らすような使い方が可能。
ちょっと企画モノっぽいですが、こういうキャッチーな酒も面白いですよね。
(3)クラシックな定番銘柄
竹鶴 純米
ニッカウヰスキーの創始者マッサンこと竹鶴政孝氏の実家としても知られる竹鶴酒造。こちらの蔵が造る濃くてたくましい酒は今も多くのファンを生み続けています。
竹鶴の中でも一番リーズナブルな純米酒ですが、最初はこれが最もクセが弱く、バランスが良くて飲みやすいかと。燗にすると無類のうまさ!
春鹿 超辛口
辛口といえば真っ先に挙がるド定番の銘柄。
実は燗がおすすめ。超辛口といいつつも、しっかり旨みのある酒質なので燗によってそれが増幅するんです。特徴でもある最後のキレは全く失われることなく味全体がアップデートされますよ。
船中八策 純米
高知の質実剛健な酒。歴史に詳しいお客様なら、ここから坂本龍馬の話につなげることもできますね。
しっかりした旨みの後は辛口が売りの酒らしく素晴らしいキレ。冷やだとややアルコール感は気になるのですが、高めの温度に燗つけすることでアタックに丸みがでて旨みも増します。
神亀 純米
燗に向く酒でも紹介していますが、クラシックでどっしりした旨みとキレのある酒といえば、神亀は絶対にはずせません。正直、辛口とか甘口とかそういう次元で語る酒じゃないんだけどね。
初孫 生もと 純米
全量生もと造りの有名蔵。山形では知らない人はいないと言います。ちょうど孫ができたくらいの年代の方にはドンピシャ。(年寄扱いするな!と怒られるかもしれませんが)
まろやかなアタックからほどよい米の甘み、腰の強い旨み。クラシックで生酛らしい深みもあり、いつ飲んでも非常にうまい。燗もばっちりはまります。
白鷹 特別純米 伊勢神宮御料酒
灘の伝統的な銘柄。これは伊勢神宮に供されて実際に祭祀で使用されている唯一の酒ですが、もちろん飲用としてもレベルが高いです。500mlで700円という安さも魅力。
意外に甘味は強く濃醇ですが、質は高いので問題ないでしょう。ぬる燗~上燗で丸みが増し、燗冷ましで酸が増してさらに飲みやすくなります。
まとめ
「辛口ください」は意訳すれば「美味しい日本酒が飲みたいんだけど、詳しくないのでわからないんです。無難に最初は甘さを抑えた酒から飲んでみたいんだけど、そんな私におすすめのお酒ってありますか?」という意味になります(長い)。
辛口と聞くだけでうんざりしていたお店の方も、この言葉が出来上がった経緯を知って、お客様がどういうつもりで辛口が欲しいと言っているのか理解できれば、不思議とネガティブな感情もなくなって、むしろ腕の見せ所と思えるようになるのではないでしょうか。
ではまた!